東野圭吾さんの「虚ろな十字架」を読みました。
虚ろな十字架は、死刑制度についてのお話。
本当に久しぶりに、読書をしました。
というのも、たまたま日曜のお休みの日に、家族から、手作りパンが食べたいとのリクエストがあったんですね。
で、手でこねるタイプの簡単なパン生地を作ることにしたんですが、発酵の時間があったので、作業をしていたら、パンが作れない。
でも、50分も何もしないでいるのも、それもまた苦痛…( ;∀;)
となった時に、母がちょうど東野圭吾さんの小説を、図書館から借りてきてくれていたので、母が他の本を読んでいたこともあり、「先に読ませてもらうねー。」と、読んでみたわけです。
私は特別本を読むスピードが速いわけではないんですが、大体1冊3時間弱で読み終わります。
短編集なら、2時間弱。
これが早いのか遅いのか…それはわかりませんが、つまり何が言いたいかと言うと、パン生地の発酵時間とちょうど合うくらいの時間帯だったわけです。
母は、1冊三日かかるので、先に読んでも支障はないかなと。
読んでみた感想としては、確かに死刑制度って、賛否両論があるのがわかる気がするなぁと。
死刑になっても、被害者の家族や遺族は、何も救われない。
でも、死刑にならなければ、また再犯の可能性があるわけですし。
印象的だったのは、死刑がゴールではないという点です。
本の中では、幼い娘を強盗に殺されたある犯罪者がいるんですが、その犯罪者を夫婦二人で、死刑にしようと画策するわけですが、情状酌量の余地があるなど、死刑は難しいとされていました。
ですが、身勝手な犯行で、残虐極まりない犯行で、しかも仮保釈中だったこともあり、その犯人は死刑になります。
でも、夫婦には何が残ったのか?
結局何も残らず、心の傷だけが残ることに。
そんな中、離婚をしていた妻が、何者かに殺される事件が。
夫は事件を追っているうちに、ある共通項を見出します。
そして、妻が発行する予定だった、ある出版物。
妻の部屋に貼ってあった、ある風景写真。
全てが繋がった時に、夫は衝撃を受けます。
子供を堕胎することは犯罪にならないのか?
それについても、本内では語られます。
結局、秘密を話してしまったが為に、第二の殺人は起きるわけですが。
例え、死刑が確定したとしても、それは虚ろな十字架というわけなんですね。
登場人物の中で、すごく格好良い青年が出て来ますが、その妻の女性が、「夫は十分に償いをしてるじゃないですか!」と語る部分も。
若き日の過ちと言うには、余りにも過酷な過去を背負った男性と女性。
最後まで読んでも、何だか救いがないお話だったなぁというのが正直な所ですね。
これって、結局は誰が一番悪かったんだろうと。
万引き依存症の話なども、興味深かったです。
久しぶりの読書をすると、やっぱり気分が晴れますね。
次回は、自分でも図書館から、本を借りて来ようかな。(*´ω`*)